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大好きな豊島で長く暮らしたい

吉田陽子さん:土庄町在住・2015年移住・30代

「いかにも田舎」な豊島の風景にほっとしました。大好きな豊島に移住した吉田陽子さん。

豊島との出会い

 仕事は大阪市内の企業で広報をしていました。土日の休みは市民農園で野菜を育てたり、瀬戸内海の島で開催されるワークショップや地方の田植えイベントに参加したり、自然の中で過ごすことが多かったですね。そんな中で定年までこのまま大阪で会社勤めをするのがいいんだろうかと漠然と考えていました。
 瀬戸内の島が好きで、現代アートも好きなので、豊島を知って、2012年に初めて豊島に来ました。観光地として作られていない「いかにも田舎」な豊島の風景にほっとしました。海があって山があって、楽園のような景色ですよね。いろいろな島に行ってみたけど、「ここがいい」と思ったのが、なぜか豊島でした。自転車を借りて1人で気の向くままに島を回って、景色に見惚れて足を止めて写真を撮る、そんな風に過ごす時間がわたしにとってすごく気持ちよかった。それからは「リフレッシュをしに豊島に行く」みたいな感じで10回以上は来ていますね。2013年には香川県が主催した「かがわの離島暮らし体験ツアー」にも参加して、実際に島の暮らしも体験してみました。

移住のきっかけ

 豊島に住んでいる人のtwitterをよく見ていたんですが、ある日、豊島のオリーブ農園で2ヶ月間の短期アルバイトを募集しているという情報があって、「これだ!」と思って、すぐに応募しました。採用が決まり、勤めていた会社を辞めて、豊島に来ました。アルバイト期間の2ヶ月のうちに家と仕事が決まれば、そのまま移住しようと考えていました。
 オリーブの収穫は島の人達も手伝っていたので、一緒に作業しているうちに仲良くなって、島の話をたくさん教えてもらえました。
 家探しは幸運なことに、思っていたよりすんなり決まりました。前に豊島を訪れた時になかよくなった移住者の女性が島を出ることになり、彼女が住んでいた家を引き継ぐ形で貸してもらえることになりました。庭のある古民家で、最初に見た時から素敵なおうちだなと思っていたので、住めることになってうれしかったです。
 仕事は求人のあった観光協会で働くことが決まりました。こうして家も仕事も無事に決まり、そのまま豊島で暮らすことにしました。

豊島での暮らし

 豊島は野菜もお米もおいしくて、水も豊か。島の人はお米や野菜を育て、魚や海草を取って、自分の暮らしを自分で賄う力があります。生きていく力がある。何があっても食べていける、そんな風に生きている豊島の人に触れているうちに人に対する価値観が変わりました。「この人はすごいなぁ」と思えるおじさんやおばさんが豊島にはいっぱいいます。
 近所のみなさんが自分で育てた野菜をいっぱい分けてくれます。食べ切れなくて、もったいないので、近所のおばあさんにレシピを教わってきゅうりの佃煮や切り干し大根などの保存食を作っています。豊島に来たら、もっとゆっくり本を読んだり、浜辺で海を見て過ごしたりできるかと思っていましたが、家事や庭の草取りをしているとあっという間に1日が終わってしまって、なかなかそんな時間ができませんね。
移住する前に田舎暮らしについては、田舎だからこそ大変だという話もたくさん聞いていたし、島暮らしが不便なことがわかって来ているので、困ったと思うことは特にありません。必要なものはネットで買えるし、すぐ届きます。買い物しようと思えば、たった15分でスーパーがある小豆島に着きます。もし困ったことがあっても大抵は船に乗れば解決しますね。

移住を考えている方へ

 移住する前は、自営業や手に職がある人でなければ田舎暮らしは難しいという話をよく聞いていたので、ただ、「島の住民として、ここで普通に暮らしたい」と思っただけの何もない私でも大丈夫かなと不安でした。だから、最初からあんまり決めすぎず、「だめだったら大阪に帰ろう」くらいの感じで来たのがよかったと思います。島の生活が合わなければ帰れるという逃げ道があったから、気持ちに余裕もありました。移住するかどうか、人の話や意見ではなくて、自分でジャッジできたのもよかったです。何回も豊島に足を運んで、自分の目で確かめて、「ここで暮らしていこう」と自分で決めました。だから、たとえ失敗だったとしても人のせいではなく、自分の責任として納得できます。
 島の人は一回距離が縮むとぐっと近くなります。仲良くなって、信頼関係ができたら、家を紹介してくれたり、親身になって相談にのってくれるようになります。移住しようと思ったら、何度もその土地に足を運んで、現地の人と仲良くなり、いろんな話を聞いてみることが大事だと思います。