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樹齢1200年の大楠が守る志々島に戻った山地さん。「この島の雰囲気を未来に残したい」
山地常安さん(志々島振興合同会社):三豊市在住・2007年移住・60代~
樹齢1200年の大楠が守る志々島に戻った山地さん。「この島の雰囲気を未来に残したい」
移住のきっかけ
私の両親はともに志々島の出身で、私もこの島で生まれました。小さい頃に家族で神戸に移ったので、この島で暮らした記憶はありませんが、母方の実家があったので、小学生の頃は毎年のように遊びに来ていました。
たまたま、妻と一緒に志々島を訪れた際、妻が志々島の守り神とも言われる樹齢1200年の大楠に魅かれて、漠然とここへ来たい、この島で暮らしたいと言ったのが移住のきっかけです。妻は都会生まれ都会育ちでしたし、私もそれまで、島暮らしがしたいとか農業がしたいとか、そういう願望はまったくなかったので、今までの都会の生活からいきなり島暮らしになって、やっていけるかなという思いはありましたね。それでも、志々島に魅力を感じて夫婦2人で移住することを決めました。
志々島での暮らし
住民の方々が私の両親を覚えていたので、空き家を紹介してもらえましたが、住める状態にするまでに、かなり手直しが必要でした。日曜大工の経験はなかったんですが、わからないなりに少しずつやっていると、段々と慣れてなんとか形になりました。志々島と神戸をいったり来たりしながら1年くらいかけて住める状態にしました。
暮らし始めると、不便さはあまり感じません。都会ほど生きていくのにお金がかからないし、海で魚を採ったりして自給自足できます。必要なものがあればインターネットで注文すれば翌日には来ます。今までの暮らしで大概のものは持っているし、いろいろな経験もしてきました。便利なのがいいとは思いませんし、不便な中でこそ工夫が生まれるものです。
この島には車は1台もなく、島民は自転車か徒歩で移動します。空気が綺麗なのはそのおかげでしょうね。お年寄りが多いですが、皆さんとても元気ですよ。
志々島を盛り上げる活動
志々島の住民は20名ほどで、ほとんどが高齢者です。移住した当初、一番若いのは私達夫婦でした。移住してこれがしたい、ということも特には考えていませんでしたから、島民の皆さんの手が足りていないことを手伝っていこうかな、というところから始めました。
その中でだんだんと島を元気にするような活動が増えてきました。大楠や瀬戸内海を一望できる展望台を建てたり、花の島と言われた志々島を復活させる花プロジェクトを実施したり、ヤギやニホンミツバチを飼ったりと様々な活動をしてきました。
最近、志々島は観光客が多くなってきましたが、せっかく来てくれても泊まるところがありません。島内にある施設を使わせてもらえるよう働きかけていくなかで、志々島振興合同会社が生まれました。島内で3軒の空き家を貸してもらえることになり、それぞれ改修を進めました。1軒は完成して「ゲストハウスきんせんか」としてこの春オープンし、島外から移住した女性に管理をお任せしています。
また、島内に飲食店がなかったので、観光客の方がちょっと休憩したり、船を待ちながらくつろいだりできるように、港の前に「休けい処くすくす」を作りました。観光客だけではなく、地元の方も集まる交流の場になっています。
志々島へ移住を考えている人へ
志々島振興合同会社の取り組みとして、今年の1月~3月に「志々島へ行こう、暮らそうプロジェクト」という移住のワークショップを開催しました。1泊2日で志々島で「暮らす」ということを考えてもらうプロジェクトです。都会に疲れて何かおかしいと思いながら生きている人もいるでしょう。自然の中でこどもを育てたいと思っている人もいるでしょう。今いる所を離れて島暮らしがしたい人もいると思います。しかし、島に住むといっても理想だけではやっていけません。覚悟がいります。そこで、移住を希望する方々に島での暮らしをしっかり知ってもらい、話合う機会を作りました。このワークショップに参加した方のうち2名が、移住することを決めました。
このまま何もせずにいたら志々島の人口は減っていき、いずれは無人島になってしまいます。私は、今あるものを大きく変えようとは思っていません。今あるものを大事に、志々島のこの雰囲気を後世に残していきたいのです。そして、何か未来に繋がっていけば、と思っています。「気づいたら島民が30人くらいになっていた」というのがいいなと思います。島にこどもたちの笑い声が聞こえる日を楽しみにしています。
(2016年10月現在)